私学の先生ガンバレ 

 

 

 

田村重信先生(立花学園高校)の事件は、職場復帰で解決しました。

2011年3月、立花学園高校の田村先生は、解雇されましたが、2011 年12月27日、横浜地裁小田原支部にて、職場復帰を前提とした和解が成立しました。田村先生は、2012年4月3日より職場復帰しました。みなさまのご支援に深く感謝いたします。

 

武藤先生(横浜中高)の事件は、職場復帰で解決しました

1994年11月横浜中高・武藤先生の高体連行事への「出張許可願」に対して黒土校長(兼理事長)は「不許可」の命令を出しました。武藤先生はやむなくそのまま高体連行事(関東登山大会、11月5日〜6日)に参加しました。帰ってきた武藤先生に学校が業務命令違反の懲戒解雇の圧力で退職を強要した解雇事件です。
4年間の裁判闘争を経て、1999年3月、横浜地裁での本訴判決前に職場復帰で学園理事会と和解が成立しました。その後、11ヶ月間の私学教育研究所での研修活動を経て、2000年3月1日から職場復帰し現在に至っています。

 

青山先生(平和学園・現アレセイア湘南高)の事件は、金銭和解で解決しました。

1998年4月から「学園財政の逼迫」を理由に人員整理を進めてきた理事会は、16名の希望退職者を出した上に更に3名の「整理解雇」を強行しました。1999年1月平和学園教職員組合(日本キリスト教主義学校連合加盟)は神奈川私教連に加盟、不当な整理解雇の撤回闘争が始まり、菅原教諭の解雇を団交で即時撤回させると共に、同年4月から2名(青山みどり教諭と関田事務長)の仮処分裁判が始まりました。同年10月、横浜地裁より「整理解雇は合理性を欠き、解雇権の濫用である」との勝利決定が青山先生に出されましたが、残念ながら関田事務長には解雇妥当の判断が出され、以降の闘いを断念しました。

 地裁の仮処分勝利で早期解決の機運は高まりましたが、宮原理事長は解決に応じず裁判闘争は本裁判へと移行。審理の中では「整理解雇」の不当性が明確になっていきましたが、判決日が二度にわたり延期となり、2002年3月には司法反動の流れから「整理解雇の四要件を満たさずとも解雇可能」という逆転不当判決が出されました。以降、高裁・最高裁を闘いましたが、2003年9月に最高裁から上告を棄却され不当判決が確定してしまいました。

裁判闘争は終結しましたが、「争議解決のためには話し合いの場が必要である」との立場から、私教連は最後まで青山先生を支えながら闘いを継続しました。また、運動の幅を広げていくためにも「青山先生を支援する会」や「青山先生を守る会」といった、神奈川労連や他労組との支援共闘体制が組まれ、争議解決に向けて粘り強い闘いがなされました。駅頭宣伝や地域全戸配布&パレード、理事宅要請、校門前行動などの広範な運動を通して理事会に「解決交渉」を迫った結果、2005年4月、「解雇撤回」と「職場復帰」はなりませんでしたが、「金銭和解」という一定の成果を得て理事会と合意に至り、6年ぶりに争議が解決したのです。 (2006年3月の私教連定期大会総括より)